「女性のための政治スクール」30周年記念式で、加藤タキ氏より、初代名誉校長だっだという加藤シヅエ議員のことばをいくつか紹介いただき、その後ネット記事で経歴を読みがぜん興味を持ちました。なるべく著作年の新しい加藤シヅエの伝記を、図書館検索で探して借りたのがこの本。

加藤静枝の生前の膨大な手紙と、最初の夫 石本恵吉の手記で構成されているが、珍しいのは著者が長男の妻であること。客観的に根気よく古い文献をまとめているのは、嫁姑の関係を越えたリスペクトが感じられます。

当時の女子の勝ち組とはお嬢様学校を卒業し、出来るだけ早くステイタスのある男性と結婚、子どもを産み育て、使用人を管理指導し、社会福祉やチャリティ活動に尽力すること。静枝もその一人ながら、変わっているのは、幼い子をじじばばに預けて夫の渡米についていき現地で進学したこと。彼女の頭脳を惜しんだ夫の発案となっているが、子育てを離れ、まだ若い妻と水入らずで外国暮らしをしたかったのでは?という気もする。

静枝はたいへん筆まめで、5歳の長男に「ナゼ オカアサマニテガミヲカイテクレナイノ」と愚痴ったりする。男子あるある。

やがて年子の息子たちは長男が京大、次男は東大に進み、それぞれイケメンで言うことなし。しかし次男は若くして結核で亡くなり、その看病の様子を出征していた長男に書き送っている。子を持つ親は涙なしには読めない、愛情と哀しみが溢れる内容です。

 

それに比べると、後日加藤勘十氏と結婚したときの息子への手紙は「式を挙げました」とあっさりしたもの。40代半ばで妊娠した時はその喜びや日々のくらしぶりを語り始める。生まれた娘がコーディネーターの加藤タキ氏で、長男の石本新氏とは28歳差なんだそう。

やはり少子化対策には、離婚結婚を重ねるのも一法です(個人的見解)

 

議員として産児制限と関連法案に尽力した加藤シヅエは、母性が豊かで、それが政治の原点になったのだろうと端々に感じました。

 

そんな筆まめな彼女も、国会議員になってからは手紙文はどんどん短くなる。5行になり3行になり…時間管理にも優れた人だったのでしょう。

富裕層の夫人から国会議員へ。こういう人生が送れたのも、資産があり、彼女の才能に気づき生かすよう協力してくれた、二人の夫の存在が大きいのだろうな、とも思えます。

 

右から早逝した次男の民雄、静江、長男の新、お手伝いさんら。夫は中国に渡り実質長期の別居生活になっており、民雄の死が離婚のきっかけになったと述懐している。