先週末、伯父の散骨式があり久々に平塚まで行ってきました。母のすぐ上の兄で同じ海老名市に住み、おない年の従兄と弟がいて、一緒の幼稚園、小学校に通った。幼稚園の頃にうちの弟が入院して私ひとりこの伯父の家に数か月預けられたことがあり、第二の父だったと言ってもよい(ただ、幼稚園児はやっぱり自分の父親がいちばんで、週末ごとに迎えに来てくれるのを心待ちにしていたものです。伯父のほうが若くて社交的だったのにね)。

音響メーカーの技術者として勤め上げ、工場長をしていた時に皇太子(現上皇陛下)が視察に来た折に案内し、製品も手にしてもらったとうれしそうにビデオ録画を見せてくれた(本来、皇族に製品を持たせてはいけないらしい。宣伝になるので)。伯父は上皇陛下の大学の後輩なので、そういう繋がりを調べて視察を組むのかなと思ったりしました。

就活のときは相談にも乗ってもらった。関口宏に似ていると言われたりしたが、関口さんより早く亡くなってしまいましたね。

 

神奈川に生まれ育ったので、海際はやはりなつかしい場所。このトシにになっても小学校時代の面影があるね~と従兄弟たちとも再会し、一緒に船に乗って沖合まで出ました。事前の指定で服は動きやすい、海用の格好。

相模湾も沖合は深い碧、沖縄のようなエメラルドグリーンではないが、ビー玉のような碧みどり色で深く透明です。予め一片を手元に残し、お骨はパウダー状に加工してあります。少し透明感のある石英のような形状。水に溶ける小袋に入れ、さらさらと撒くと透明な水にふわっと拡がって、それは幻想的できれいでした。最後にお骨を少し残して小袋ごと水に落とすと、少し沈んでからぱっと分解して散る。全く誰が考えたのだろうという演出です。伯父がそばに立って「ほほう、うまく出来てるな」と笑って見ているような気がしました。

最後にめいめいが折った折り鶴を放ち、本人の好物のお菓子と花びらを撒いて、鐘を鳴らして終了です。

すれ違う釣り船から手を振ってくれる人もいて、伯父が喜びそうな、思い出深いお式となりました

 

過日見に行った自動納骨堂といい、弔いは進化しています。自分のときはあれもこれもやりたくなり、体がいくつあっても足りません?