区議4年間の仕事を振り返って、文教委員会には所属しなかったものの、児童生徒の学習支援を充実させたい、学ぶことの楽しさを知ってほしいという思いは常にありました。

学習支援を重点的に扱っている議員らによれば、これは貧困などとも深く結びつき、親が就業や自身の能力から子供に教えられないという要素もあるらしい。

例えば、「中学生になっても掛け算が出来ない」という事例。掛け算くらいは親が教えられるだろうと思うのですが

「仕事に忙しくて教える時間がない」「自分がわかっていても、教えることは出来ない」という。掛け算を教えられない人が仕事をやっていけるのかそもそも疑問ですが、教える時間がないとは…時間は作るものだ。

 

息子が小5くらいのときか、塾の先生に「書くのが遅い。中学受験にはネックになる」と言われました。いそくみの中にたちまち星一徹が誕生…1日1分、キッチンタイマーを使って用意スタート!マス目ノートに朝日新聞の天声人語のスピード書き取りをやらせて、なんとか克服したものです。

 

「出来ない」という親は「ウチは朝日新聞取ってない(←春秋でもいいよ)」というかもしれないが、駅のラックに入っている「世田谷だより」などから子どもに解りやすそうな文章を選んでもよい。子どもが楽しく出来て、親の負担にならないちょこっと勉強法を考えればよいのです。

それこそ九九暗唱なんて、昭和の世代はお風呂につかる時間の目安としたものだ。

 

もう少し時間をとってじっくり教わりたいなら、シニア世代で教職を持っていたり、英語が出来たりする人に担当して頂いてはどうか…シルバー人材センターなら有資格者や特技を持つ人にお願いできるはず。

これに対しても、“学習支援が必要な子供たちに寄り添う議員”らは「そういう事例もあるが、今の子は大学生など若い先生に、ゲームなどの話を交えてでないと教わろうとしない。高齢者は不人気」という。

(先生を年齢や面白さで選んでいる場合ではなかろうと思うが…)

 

このブログでも何度か出てきている実家の母(80歳、中学の数学の教職を持っている)は、自宅で長い間学習塾をやっていた。この話に、「先生がゲームの話をし始めたら、勉強の方が頭に入っていかない」ときっぱり。

高齢者は人気がないどころが、母はつい最近までご近所から「子どもに勉強を教えて」とリクエストを頂いていた。「料金は取らない、ボランティアで」と伝えたら、授業料の代わりに家庭菜園で作った野菜やママさんの手作りパンなどが届けられたそうで。昭和の農村のようだが、こんな関係もいいかも。

 

海老名で出来て世田谷ではできないのか,人によるのか、様々な方向性を探ってみたい。